上巳の節句

上巳の節句~じょうしのせっく~:3月

桃の節句とも女の子の節句とも言われます。
起源は古代中国の「上巳節」と言われています。中国では女の子に限った行事ということではなく、厄払いの意味があったと伝えられています。
日本では平安時代に草木でこしらえた人形に自分の厄を移して川に流す「流し雛」の風習がありました。(岩槻でも毎年流し雛の行事が行われています。)
中国の「上巳節」と日本の行事が出会い、日本ならではの「上巳の節句」になったと言われています。
平安時代には女の子の遊ぶ人形を「ひいな」と呼びました。それが「ひな人形」となり、江戸時代以降、豪華になり雛飾りになり、「ひな祭り」という華やかなお祭りに変化していきます。

岩槻での「上巳の節句」イベント

特設会場や商家に飾られた人形を観に街中を歩いて回る、岩槻最大のイベント「まちかど雛めぐり」が諸団体の連携した実行委員会の主催で行われており、2月下旬から3月上旬まで(2021年は4月4日、旧暦の上旬の節句時期まで開催)楽しめます。
「流しびな」も岩槻人形協同組合主催により岩槻城址公園内で行われます。

岩槻人形と伝統工芸品

江戸時代初期、日光東照宮の造営に携わった工匠の一部が、御成道の宿場町であった岩槻に留まり、人形作りを手掛けたのが始まりだと言われています。仏師恵信が桐のおがくずと生麩糊と岩槻の水を混ぜ合わせて発色の鮮やかなものを考案しました。その技術を生かして頭づくりが始まったと言われています。

人形の小道具にしても、「人形のまち岩槻」にとって重要な伝統的工芸になっています。
段飾りの小道具だけでも20種類以上の小道具が必要で、弓、檜扇など何十種類という小道具に蒔絵などが施され、一つ一つ丹念に作られています。
全国に出回る人形の頭の約90%、小道具に至ってはほぼ100%が岩槻で生産されています。
その他の工芸品としては「だるま」や「組紐」、東照宮の造営職人をルーツに持つ岩槻の「宮師」、その技術を代々継承してきた「御宮製造」。
椅子やテーブルをはじめ餅つきの臼と杵など手作業で作り上げる「木工製造」、鉄が作り出す美しい工芸品としての「刀」、その技を現在に伝える「刀鍛冶」等があります。
(「岩槻区ガイドブック・城下町いわつき」より引用)

愛宕神社の大雛段飾りです。神社に通じる階段に沢山の雛人形が飾られています。地元自治会の方々が頑張ってくださいました。

地元の小学生によるお雛様パレードです。着付け・メイクは全て地元のボランティアの方によるもの。