七夕の節句~たなばたのせっく~:7月
機織りの上手な織姫と働き者の牛飼い彦星が結婚、しかしあまりにも仲が良すぎて遊んでばかりいたため天帝の怒りに触れた2人は一時引き離されたが、その後悲しんでいる二人を不憫に思った天帝は年に一度だけ七夕の夜にだけ再会させるようにしたというのは有名な話。
しかしその行事「乞巧奠:きこうでん」も元は中国発祥の行事で、機織りの得意だった織姫にあやかり、手習いが上達するようにという願いが込められていました。その「乞巧奠」が遣唐使によって日本に伝わり平安時代には宮中行事となり、お供え物を捧げ、星を眺めて歌を詠み、願い事を梶の葉に書いたそうです。
江戸時代には「七夕の節句」として庶民に伝わりました。願い事を書いた梶の葉は短冊に変わり、ほぼ現在と同じ「七夕」の行事の形になりました。
岩槻での「七夕の節句」イベント
月遅れの8月に、岩槻駅東口クレセントモールを会場に流しそうめんや七夕飾り、七夕の紙人形作り体験などを行っています。
七夕に素麺を食べるのはなぜ?
これも中国の昔話になります。
中国には「索餅:さくべい」という小麦粉料理がありました。7月7日に熱病の為亡くなった帝の子供が霊となって疫病を流行らせた際に、その子供が好きだった「索餅」を供えたところ、ぴったりと疫病がおさまったという話に由来しています。
「索餅」は平安時代に日本に伝わり、それが形を変えて素麺になり、7月7日に素麺を食べると1年間健康で過ごせるという言い伝えが出来上がったというわけです。
また、長く細い面が織姫の織り糸に似ているからとか、天の川に似ているからとか色々説があります。
クレセントモールの七夕飾り。
七夕の節句の食文化は「素麺」。そこで流し素麺を実施。